高松高等裁判所 昭和62年(ネ)120号 判決 1993年1月28日
控訴人
上別宮町内会
右代表者会長
武田重治
右訴訟代理人弁護士
岡田洋之
中田祐児
被控訴人
湯浅隆雄
同
村上真教
同
吉田勇
右被控訴人三名訴訟代理人弁護士
原秀雄
早渕正憲
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実
一 控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人らは、連帯して控訴人に対し、金一四六五万〇四八五円及びこれに対する昭和五五年一一月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの連帯負担とする。」との判決、並びに、仮執行の宣言を求め、被控訴人ら代理人は、主文と同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張及び証拠の関係は、当審における主張を次のとおり付加し、当審における証拠につき当審記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。
1 控訴人の当審における主張
(一) 原判決別紙物件目録記載土地の所有権の帰属について、
原判決別紙物件目録記載③の土地は、現在控訴人の所有する土地であり、同目録記載①及び②の土地は、いずれも元控訴人の所有する土地であった。
すなわち、右各土地(以下「本件土地」という)は、元々地元住民の共同墓地として利用されてきたものであるが、明治一九年四月一日徳島県板野郡内に大松村外八村役場と宮島浦村外八役場が置かれた際、その中の一つであった別宮浦村の所有であった。その後、明治二二年七月一九日、右の各村が合併して川内村となった際、別宮浦村が大字別宮浦村となったが、同年九月一〇日徳島県知事によって、「現在村又は村内一部の共有財産は、新町村管理に移し、町村制実施後は、旧村(大字)又は一部(小字)の専有物とし各その区域において使用及び収穫の権利は従前の慣行を保存する」ことが認可され、本件土地は大字別宮浦村の所有する共同墓地として従前の権利が保全されたものであり、これは川内村がその後徳島市に合併した後も同様である。
そして、大字別宮浦村は、現在徳島市川内町上別宮となった。
川内町上別宮部落には、戦後部落常会が置かれ、常会長が部落を代表し、別に会計責任者が置かれて財産管理をしてきたところ、昭和四四年四月一日上別宮町内会が組織されたものであるが、その実質は旧来の上別宮部落について、単に規則を作り組織を明確にして時代の趨勢に合致するものとするため名称を改めたものにすぎず、その構成員も同一であるところから、本件土地は控訴人町内会に帰属したものである。したがって、昭和四六年四月六日本件土地について所有権保存登記がされるに際して、本来ならば、控訴人名義で登記がされるべきところ、不動産登記法上、いわゆる「権利能力なき社団」には登記簿上の権利名義人たりうる資格はなく、社団の代表者たる肩書を付しての自然人名義の登記も許されず、他方、町村合併後も多数の部落所有の不動産が残された歴史的経過にかんがみ、便宜的に大字ないし字名義の保存登記が認められていたことから、本件土地につき「大字別宮浦村」なる保存登記がされたにすぎず、その所有権が控訴人にあることに変りはない。
また、山田渉に売却された本件①及び②の土地が控訴人の所有であったことは、右の売買に関係した被控訴人らも十分承知していたことであり、そのことは、
(1) 部落有財産処分申請書(<書証番号略>)は、徳島市長宛に「川内町上別宮代表者湯浅隆雄」の名前で作成されているが、同人は当時控訴人町内会の会長であり、決議書は、同人のほか「吉田勇」「村上真教」によって署名されているが、同人らは当時の控訴人町内会の副会長であったこと
(2) 部落有財産処分金決算書(<書証番号略>)末尾には「徳島市川内町上別宮代表者湯浅隆雄」としたうえで、「川内町上別宮町内会長之印」が押捺されていること
(3) 被控訴人湯浅隆雄は土地の売却残代金一一四万円の定期預金証書を控訴人町内会の会計責任者に引渡し、以後は代々会計責任者に引継がれ保管されていること
からも明らかである。そして、本件①及び②の土地と同③の土地は、その所有権の帰属について異なるところはなく、同一であるべきものである。
(二) 損害賠償請求について
本件③の土地は、前記のとおり上別宮部落(現在の控訴人町内会)の共同墓地として利用されてきたものである。西光寺所有の墓地でない以上住職である被控訴人村上真教が同寺の檀家でない者や上別宮部落外の者に墓地の永代使用を認めることはできない。現在、上別宮町内において四国縦貫自動車道の建設が予定されており、このため予定地内に墓地を有する控訴人町内会の構成員の多数の者が墓地の移転を余儀なくされることになるが、町内会の構成員以外の者に本件共同墓地の使用を認めると、その移転先を奪われることになり、早晩損害が具体化することが目に見えている。よって、被控訴人らは、控訴人主張の永代借地料として受取った金員を債務不履行ないしは不法行為による損害賠償金として支払わなければならない。
2 被控訴人らの反論
(一) 土地所有権の帰属について
本件土地及び原判決別紙物件目録記載④の土地(徳島県への売却地)は、江戸時代から旧別宮浦村の共同墓地とされてきたものであって、部落の住民が檀家であった西光寺の管理する墓地として檀家の使用に供されてきたもので、明治の初め、土地所有権が定められる際、旧別宮浦村の部落有とされたものである。その後、明治二二年一〇月の町村制の施行により別宮浦村の所属していた旧宮島外八村役場が旧大松外八村役場と合併して川内村ができたが、右合併に先立ち、宮島村外八村役場は村会議員を招集し、村又は村内一部の共有財産(本件土地が該当する。)を、川内村の管理に移し川内村の所有とするが、大字又は小字の各区域において使用収益する権利を従前の慣行どおり確保することを決議した。この決議に基づき、同年九月二日同村戸長から徳島県知事に認可申請がされ、同月一〇日認可されている。こうして、本件土地は川内村の所有となり、川内村が昭和三〇年徳島市に合併したことにより徳島市の所有となった。
また、大字別宮浦村は大正四年四月一日大字名を廃し村を省略され、かつ上別宮、下別宮及び向別宮の三地区に分割されている。したがって、明治二二年に本件土地に対する使用収益権が認められた「大字別宮浦村」と現在の控訴人町内会とは、その団体性は必ずしも一致するものではないから、控訴人町内会が組織されたことで、直ちに本件土地に関する右使用収益権が控訴人町内会に承継されるものではない。ただ、上別宮住民としては、大字別宮浦村の中心が上別宮であるから、長い年月が経過するうち、他地区住民にも本件土地を使用する権利があるとの認識を欠くに至ったものである。
被控訴人らが本件土地についてかかる所有権の推移を知ったのは、本件訴訟の中で川内村史を調べてからのことであり、控訴人主張の各書類作成時には漠然と部落の財産という以上に正確な権利の名称や内容を意識を有していたものでもなかった。
(二) 損害賠償請求について
本件土地は、数十年前から部落が西光寺の住職に管理を委託してきたものであり、住職が墓地を開設する際、使用料、墓地管理料を受け取ることは、部落及び檀徒も慣習として認めていたものである。被控訴人村上は西光寺の住所としてかかる慣習に基づき永代借地料を徴したのである。
なお、本件土地内にはまだ墓地として整備されていない部分もあり、今後二〇基程の墓地の設置が可能であって、被控訴人村上が墓地設置を認めたことにより、部落の人が本件土地内に墓地を開設できないような不便をかけたことはなく、今後もそのような事態が生ずるとは考えられない。
理由
一旧別宮浦村が町村制施行により他の数個の村(部落)と合して板野郡川内村となり、更に同村が徳島市に併合されたこと、本件土地は、少なくとも旧別宮浦村が川内村となるまでは、旧別宮浦村の所有に属していたことは、当事者間に争いがない。
二そして本件土地が江戸時代から旧別宮浦村の部落民(以下「旧別宮浦村」を「旧部落」といい、同部落住民を「旧部落民」という。)の共同墓地に供され、同村(部落)が川内村となって以後も右使用関係に変化はなく、更に同村が徳島市に併合された後においても、以前と同様、旧部落民を主体とする墓地として使用されていたこと、昭和四六年、原判決別紙物件目録記載④の土地が徳島県によって買収されたとき、徳島市長が財産管理者として、本件土地についてその所有者を「大字別宮浦村」として保存登記をしたが、これは右④の土地を売却するにあたり、県が本件土地を地方自治法上の財産区所有財産として扱うように指導したことによるものにすぎず、その後も徳島市は本件土地を地方自治法上の財産区所有財産として扱っていないこと、並びに、旧部落は川内村が誕生したとき川内村上別宮部落となり、同村が徳島市に併合された際には「川内町上別宮地区」となり、昭和四四年にはこれが「上別宮町内会」となったことの事実関係についての当裁判所の認定は、原判決書八丁表二行目から一〇丁表八行目までに記載するところと同じであるから、これを引用する。
三右認定の事実関係によって判断すると、旧部落所有であった本件土地が、川内村誕生の際、及び、同村が徳島市に併合されたとき、旧部落所有として特に同部落に残置されたものとは認められず、また、地方自治法二九四条の財産区として旧部落所有とされたとも認められないから、旧部落が川内村となり、更に徳島市に合併されたことに伴って、本件土地の所有権も旧部落から川内村へ、同村から徳島市に順次移転したものと認めざるを得ない。<書証番号略>は、右認定判断を補強するものであり、これに反する<書証番号略>の記載は措信できない。
四ところで、本件土地が右のように川内村の所有となり、更に徳島市の所有となった後も依然として旧部落民が墓地として使用し、墓地の使用者の交代等を含めその使用関係全般については、村や市が干渉することなく、旧部落民の自主管理に委ねられてきたことは前掲各証拠(さきに引用した原判決挙示の証拠及び<書証番号略>)に照らし明らかなところであるから、昭和四四年、旧部落を上別宮町内会(控訴人)が承継した(この事実は、引用に係る原判決一〇丁表初行より同所八行目に認定されている。)以後は控訴人町内会が管理にあたるべき権限を有するものとなったというべきである。
五1 原判決別紙物件目録記載①及び②の土地の山田清への売却に関する事実関係、並びに、右土地の売却が控訴人町内会に対する債務不履行ないしは不法行為を構成するものでないことの認定、判断は、原判決書一〇丁裏四行目から一三丁裏九行目までに記載するところと同一であるから、これを引用する
2 また、同目録記載③土地の使用料徴収に関する事実認定については、原判決書一三丁裏末行から一五丁裏六行目終りまでと同一であるから、これを引用する。
右認定事実に基づいて考えるに、確かに被控訴人村上が徴収した本件墓地使用料は、西光寺が旧部落民から委託されて墓地の管理をすることへの報酬や費用の弁償等として取得することを部落民が許容していた少額の金銭とは程度の異る多額のものであって、これが処置については最早旧来の慣行のみでは律し難いものであるというべきである。そして、このような事態は、墓地使用に係る地域社会の変容すなわち、旧部落内外の住民の急激な増加、地価の高騰に影響された墓地に対する経済的価値観の変化等に基因して生じたものであって、西光寺住職である被控訴人村上の私利私欲に基づくもの又は控訴人に損害を与える目的をもって行われたものとは認められないから、被控訴人村上の本件墓地使用料の徴収をもって直ちに委託者である控訴人町内会に対する債務不履行ないしは不法行為を構成するものと断ずることはできない。もともと旧部落民と西光寺との間には内容の明確な管理委託契約が締結されていたものではない(この契約の存在を認める証拠はない)のであるから、社会情勢の変化に応じて生ずる新しい事態に対処するためには、旧部落民の地位を承継した控訴人町内会と宗教法人西光寺との間で近代的な契約という形において管理委託の内容を明確にすべき必要がある。
六以上説示のとおり、被控訴人らに債務不履行ないしは不法行為責任があるとはいえないから、これが存在を前提とした控訴人の本訴請求は、失当として棄却せざるを得ないものである。
よって、控訴人の本訴請求を全部棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安國種彦 裁判官 井上郁夫 裁判官 山口茂一は、転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 安國種彦)